(旧暦 葉月廿一日)

 29日付、朝日新聞の土曜版「be」にあった記事から誤用例を引用させていただきます。



「間が持たない」←「間が持てない」
「押しも押されぬ」←「押しも押されもせぬ」「押すに押されぬ」
「怒り心頭に達する」←「怒り心頭に発する」
「足もとを掬う」←「足を掬う」「足元を見る」
過半数を越える」←「半数を越える」「過半数を占める」「過半数に達する」
「愛想を振りまく」←「愛嬌を振りまく」
「恨み骨髄に達す」←「恨み骨髄に徹す」
「思いもつかない」←「思いもよらない」「思いつきもしない」
「乗るか反るか」←「伸るか反るか」
「熱にうなされる」←「熱に浮かされる」
「上や下への大騒ぎ」←「上を下への大騒ぎ」
「後ろ足で砂をかける」←「あと足で砂をかける」
「屋上屋を重ねる」←「屋上屋を架す」
「微に入り細にわたって」←「微に入り細を穿って」
「薄皮をはぐように」←「薄皮をひくように」
「合いの手を打つ」←「合いの手を入れる」「相槌を打つ」
「的を得た」←「当を得た」「的を射た」
「二の舞を踏む」←「二の舞を演じる」「轍を踏む」
「舌づつみを打つ」←「舌つづみを打つ」
「火蓋が切って落とされる」←「火蓋を切る」「幕が切って落とされる」
「寸暇を惜しまず」←「寸暇を惜しんで」「骨身を惜しまず」
「雪辱を晴らす」←「雪辱を果たす」「屈辱を晴らす」
「嫌気がする」←「嫌気が差す」
「明るみになる」←「明るみに出る」
「新規巻き返し」←「新規蒔きなおし」「巻き返しを図る」
「目鼻が効く」←「目端が利く」「目鼻が付く」


 あー。
 妖之佑も、やっちまってるのがありますね。(;^_^A
 ただ、意味を理解していれば予防できる誤用も、わりとあります。
 いくつか例を挙げますと。

「足を掬う」は、相撲の決まり手「小股掬い」を思い出せば判りやすいですね。相手の足を取るべきなのに足元ばかり探っていては倒せるはずがない(笑)。
過半数を越える」は情けないことに選挙報道で乱用されてるよなー。「過半数」とは「50%を越えた」状態のことであり、50%ではない。越えた状態を越えるなど永遠に不可能。動くゴールを追いかけるようなものです。
「後ろ足で砂をかけた」ら、その人は常に四足歩行ということで(爆)。
「薄皮をひく」のは実は魚の捌きかただそうです。確かに、魚をおろす際、身から皮を剥ぐことを「ひく」と言いますね。
「二の舞」の「舞」とは演舞のことですから踏んではいけませんわなー演じないと。
「舌鼓」は、ちょっと判りにくいかな。鼓というのは和楽器のあれです。肩に載せて「いよーっ」とか言って「ポンッ」と鳴らす糸巻きみたいな形のヤツ。で、舌鼓は落語で何か食べるシーンのある演目を観ると露骨にやってくれるので判るんですけどね。「づつみ」という楽器は、ないですからねえ。
「火蓋」は火縄銃のパーツです(フリントロック銃にもある)。点火用の火薬を火皿に入れて蓋をして携行する。で、撃つ際に蓋を開けて、そこに火縄が落ちて点火、発射の流れ。ここでの「切る」は「開く」の意。「切って落とす」のは舞台の幕。シーンによっては、張ってある幕を上から一気に落とす演出がありますよね。あれのことです。
「新規」云々は漢字から判るように、作物の育成に失敗したので種蒔きの段階からやりなおす、という意味だそうな。

 記事にもありますけど、そこまで目くじら立てることもないかな、というのもあるのかもしれません。言葉は生き物であり、常に変化し続けるものですから。
 が、例えば報道記事やニュース原稿を書く人が、そんな、なあなあな姿勢では困りますね、やっぱり。
 創作系であっても文筆を目指す者は、やはり知ってないとあかんでしょ。そもそも執筆とは言葉の意味一つひとつを汲んですることですからね。そのうえで、例えば台詞や語り言葉で意図的に使うのは、もちろんアリ。
 他愛のない雑談とかで、いちいち校正するのは大人げないですが。きちんとした文章・文書では、やはり正しいとされる表現を優先すべきだと思うのです。とりわけ、何かしらの形で言葉に関わる立場の人は、無視してはならぬことではないかと。同じ誤用でも、知ったうえで使うのと、知らぬままに使うのとでは、意味合いがまったく違いますから。

 ATOK による漢字変換だと言葉によっては訂正の警告を出してくれますから、むしろ手書きよりPCで作成した文書のほうが案外と誤用は生じにくいんじゃないかなと、逆に面白く感じていますよ。