朔 (旧暦 皐月朔日)

 先日のNHK『プロフェッショナル』。
 辞書専門のフリー編集さんの回。

「的を射る」「的を得る」の正誤に関する議論が、意外すぎて面白かったです。
 氏の説を全面的に支持するわけではありませんが。1960年代に専門家が言った個人的学説が巷に流布、「的を得る」が論外な誤用だと叩かれることになった、つまり冤罪である、とする意見には興味津々です。

 まあ、「言葉は生き物」という考えかたからすれば、かつては誤用だったものが、まちがいとまでは言えないとなり、やがては普通の使いかたになっている、ってのは実例が多々あるわけで。
 例えば「ら」抜きだって、いずれは普通の用法になると思いますよ。
「おまえ」「きさま」などが、昔は尊敬語だった事実もありますし。
 かつて私が習った先生は、「凄く」を「悪い意味の強調」だと言って、「凄く美味しい」とか「凄く綺麗」とかの用法を断固として否定していました。「絶対に使うな」と言われたものです。現状は、どうですかね。
「美味しい」から思い出した言葉に、「ヤバイ」がありますね。本来は、例えば「怖い人たちに目を付けられて身の危険にさらされている」とかの窮地を意味する表現だったはずですが。今では「美味しい」とかの肯定的意味で使われる。解釈すると、たぶん「素晴らしい料理の軍門に下ってしまいそうだ」ということで「追いつめられた」的な意味を好意的に使っているものと思われます。俗語の段階とは言え面白い現象ですね。

 しかしながら。
 モノカキを目指す者としては、どこまで受け入れるべきなのでしょうね。
 台詞部分や一人称ならスラングを使っても問題ない、と言うかキャラによっては使わせないとかえって不自然になる。
 しかしながら三人称での地の文となると……ねぇ?
 悩める問題ですわなー。

「的を得る」については、林先生のご意見も聞いてみたいですね。