朔、納めの観音 (旧暦 霜月朔日)

 主人公または主要レギュラーの記憶喪失ネタは定番の手法ですし、何より演出面で盛り上げやすい利点がありますね。記憶を釣り餌にして、何度でも見せ場を設置できますから(まあ、やりすぎると嫌われるでしょうけど)。
 で、記憶喪失モノとなると映画『トータル・リコール』あたりが秀逸(寺沢さんの『コブラ』序盤は、これの原作小説を元にしたと思われ)。
 などと思ってましたら、各話に散りばめられた布石・伏線が、まさにそれに近い方向でした。もっとも判りやすかったのが、あの甘すぎる卵焼きを戦兎が「旨い」とガッついたことと、スタークが死体の顔を好きに変えられる力を持っていること。
 ここで『悪魔の手毬歌』の真相を参照するまでもなく、ミステリーの基本を考えれば誰でも容易に結論に達します。
 つまり、この物語には天才科学者が二人いて、その二人は一度として同時に登場していない。と言うか、時系列で見れば葛城巧が“退場”したあとに桐生戦兎が登場する。いや、もちろんミュージシャン・佐藤太郎が行方知れずになったあとで同一の容姿をした戦兎が登場しますけどね。でも、そこはスタークの力があるから(死体を使って披露してたけど、死体に限るとは言ってないし)。
 しかも、戦兎は記憶喪失のクセにビルド・システムの追加パーツを開発できる。で、葛城巧はライダー・システムの開発者そのもの。

 あれ観てて、戦兎と佐藤太郎が同一人物だと思った視聴者は、いませんよ。さすがに謎解きを簡単にしすぎてるでしょ。
 …………いや違うな。簡単と言うよりも露骨なんだ。最初っからマスターが怪しかった(バイト中にスタークが登場するとか、毒牙にかかった戦兎の解毒をどうしたのとか、ライダー・システムは声も変えられるとか、ね)のと同様、演出が露骨すぎたんだよ。幻徳によるネタばらしもタイミングが早すぎる。まだ1クールちょっとだぜ?

 というわけで。
 妖之佑は、ここまでがミスリードだと思っています。戦兎の過去は、もっと違うものなんじゃないかなーと。
 でないと、主人公の本来の姿が、あんな変顔(役者さんにド失礼なこと言ってます。m(_ _)m)では、後々の遺恨にもなりかねません(苦笑)。
 事件すべてが解決したあとでの葛城母との距離をどうするかも、難しくなりますからね。