納めの水天宮 (旧暦 神無月十八日)

『[新編]叛逆』から早、四年。
 そろそろ続きを観たい今日この頃。

 続編の内容を、[新編]の元ネタと言える童話『くるみ割り人形とねずみの王様』から予測できないものかと思い、少し考えてみる。


※ 以下、童話『くるみ割り人形とねずみの王様』のネタバレが入ります。






































 まどかは、『くるみ割り人形』の主人公・マリー。
 ほむほむはもちろんマリーに懸想した、くるみ割り人形
 ほむほむが自分自身を魔女だと気づくとき、時計が零時を打ちフクロウが舞い降りるシーン。あれは、『くるみ割り人形』でも零時とフクロウという要素があり、これを合図にネズミ軍団がゾロゾロと出てきて、オモチャの兵隊と開戦する。
 真相に気づいたほむほむが槍を打ち鳴らす兵隊のズラリ並ぶ開放型ビルディング(実は巨大なガラス戸棚なのだが)の中、病人ベッドの上でヴェールにくるまっていた姿は、壊れたくるみ割り人形がリボンに包まれてガラス戸棚に収まっていた姿に被る(マリーが手当てして寝かせた)。そして魔女となった姿も、それを裏付けている(ホムリリィは顔が壊れてたろ?)。QBたちは、嫌らしいネズミ軍団ね(笑)。

 では『くるみ割り人形』の結末は、どうだったか? と言うと、呪いの解けたくるみ割り人形が王子の姿に戻って、マリーを迎えに来る。そしてマリーは玉の輿。
 ただし、王子は王子でも、お菓子の国の王子なんだよな。そこへ人間のマリーを連れて行く。
 これは異世界へ拉致るようなもの。ほむほむが、まどかを円環の理から強引に切り離したのと同じ。悪魔ほむほむが再構築した世界には使い魔どもも堂々とうろついてて、それまでの世界と異なっている。まさに作り物の国。
 もう一つ、重要な要素として。マリーの家に王子が来る前に、マリーはドロッセルマイヤーおじさんと話している際に椅子から倒れたのだよ。王子がマリーにプロポーズし后として連れ帰ったのは、マリーが気絶した後の出来事。つまり、実はマリーはエンディングでは目覚めておらず、輿入れしたお菓子の国は現実のものではなく夢の空間だと思われ(そもそも、オモチャの兵隊×ネズミ軍団の戦争そのものが、父母の言うとおり夢の出来事に過ぎないのかもしれない)。
 もしも物語のその後があるのなら、マリーは王子の后となって満足だろうが、現実世界の親兄弟にしてみれば目覚めない(あるいは夢遊状態の)マリーを元に戻そうと奔走するはず。その場合、鍵となるのは、物語全体を通して謎の多いドロッセルマイヤーおじさんだろう。

 ここまで来れば[新編]の続きも予想可能となろう。
 まどかがアメリカからの帰国子女だという世界は(ほむほむがでっち上げた)夢であり偽りの世界。まどかは眠っているようなもの。ならば続編は、まどかを目覚めさせる、夢の世界から連れ戻す物語以外にありえない。
 となると肝心なのは「誰が」ということ。
 ほむほむは、ないよな。むしろラスボスだろうし。
 さやかとなぎさが円環の理の一部だった記憶を取り戻すのか。
 聡明なマミさんが([新編]の眼鏡ほむほむみたく)違和感に気づくのか。
 中心核を失った円環の理が、まどかを取り戻しに来るのか。あるいはコントロールを失って時空を暴走の途中に見滝原を通りかかるのか(この場合、ワルプルギスの夜になってそーな気がするよ。そー言や、さやかとなぎさの乗るカボチャの馬車を牽いていたゾウは、TV本編のワルプルギスの夜の使い魔だったよな)。
 はたまた、ボロ雑巾が復活して、また何やら画策するのか。
 て言うか、全部やっちまえよ。そのほうがゴタゴタ交錯して面白かろ♪

 なお、童話の『くるみ割り人形』を元ネタとして仮説を述べたのは、それしか知らないから。実際は、[新編]の冒頭にバレリーナのシルエットがワラワラと出ていることをはじめ、いろいろな要素からバレエが元ネタだとする説が有力なんだけどね。
 バレエの『くるみ割り人形』について少し調べたところ、原作である童話を簡略化したストーリのようで、そうなると[新編]の元はバレエ版とするほうが正しいのかもしれない。ガキどもの姿をした使い魔「クララドールズ」はバレエ版の主人公の名「クララ」と一致するとか、眠るほむほむをまど神様が迎えに来るシーンは『眠れる森の美女』であるとか、悪魔化したほむほむの衣装が『白鳥の湖』の黒いチュチュだとかで、チャイコフスキーの三大バレエすべてが入っているという理由からも、バレエ版が元である派は強気。[新編]限定の、ほむほむの変身ポーズがバレエだしね。
 ただ、あえて反論すると。バレエ版では、くるみ割り人形だった王子がクララをお菓子の国に招待して歓待するだけなんだよね。原作の童話では、マリーを招待したあと日をあらためて后として迎え入れる。ほむほむの、まどかに対する感情(情念?)を考慮すると、招待だけで終わらない気がする。であれば、求婚する原作が元というほうが、しっくりくるんだよね。
 もう一つ反論点として、バレエ版の主人公名である「クララ」は、原作では怪我をしたくるみ割り人形に(マリーの命令で)ベッドを譲り、ネズミ軍団との戦争において、くるみ割り人形を助けた人形の名前なんだよね。「クララドールズ」と言うからには、連中は童話版のクララを元にしているほうが納得いくと思わないかな?
 なので妖之佑は、[新編]は童話版を元にしておりバレエ要素は調味料だ、という考え側に立つ。

 TV本編、劇場版[新編]、ついでにコミック版『魔獣編』と、すべてが「自分だけの時間に逃げ込」み現実逃避ばかりするほむほむを現実に引き戻す物語。すべて失敗したけどなー。
 とすると、[新編]のその後も、夢の国に囚われたまどかを起こすためには、絶賛現実逃避中ほむほむの目を覚まさないと……いや、強引に叩き起こさないといけない、ということになるのかな。



 そろそろ、また観てみようかな、[新編]。
 巷の考察サイト、考察ブログを拝見すると、その情熱に圧倒されます。かつて自分が『うる☆やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を観たときのそれに通ずる熱量♪
 思えば、妖之佑が劇場で観て、購入をソッコー決めた映画が『ビューティフル・ドリーマー』と『[新編]』の二つなんだよね。
 80年代作品と今の作品とで単純な比較はできないし、たぶん『ビューティフル・ドリーマー』に比べて『[新編]』の情報量は段違いに多いと思うけど、でも、押井監督が初めて自分のやりたいようにやった作品という意味でも、『ビューティフル・ドリーマー』の情報量は当時としてはダントツだったはず。だからこそ自分も、のめり込んだ。
 あー、そう言えば。押井作品の中、もっとも難解なOVA『天使のたまご』。あれの「箱船」がイメージ的にワルプルギスの夜に似ている気が、今さらながらにしてきたよ……。新房監督が意識的にやった? まさかね。さすがに、それはないな。