(旧暦 神無月六日)

 昨日に申しましたとおり。
 大相撲の「物言い」制度は、当事者が利害目的で審判に抗議やチャレンジをする他競技とは一線を画した、たいへんに合理的なシステムだと思います(チャレンジ制度は、我欲からくる抗議に対する、ジャッジ側の対抗手段だと思われ)。
 まあ……厳密に言えば、勝負審判も親方ですから部屋や一門の利益を絶対に意識しないとは言いきれませんし、控えの力士も星取り争いが絶対に絡まないとも言いきれません。ただ、物言いがつくと勝負審判五人で協議(実は、行司は協議に口出しできない)しますから、うち一人の親方や、協議に参加できない控え力士の思惑でどうなるものでもないので、やっぱり合理的で公正だと思いますよ。
 そもそも、闘いを至近距離で見る行司とは違う視点・距離で土俵をぐるりと囲んだ勝負審判が見守ること自体、誤審を防ぐための、かなり完成された構成だと思うのです。野球の塁審とかサッカーの線審とか大変すぎるよ。JUDO の旗判定なんて、ただの茶番だったし。

 旧態依然と思われがちな大相撲ですが、実はかなり合理的な段取りで進行されているのですよ。

 妖之佑がもっとも感心したのが、各段の優勝を決める「優勝決定戦」です。
 相星の力士が二名、あるいは四の倍数ならトーナメント形式で無問題ですが。奇数名とか六名いたら、さあどうします?
 欧米のセンスだと「シード」の概念でトーナメントを組むでしょうが、これは公正・公平とは言えませんよね。誰かが得しますから。
 さあ、どうしましょう?(反転させときますね♪)

 例えば相星が三名いた場合、決定戦は「巴戦」という形式で行われます。
 クジで順番だけ決め、一番手と二番手が対戦、勝ったほうが三番手と対戦。これで二連勝すれば優勝。三番手が勝った場合は一番手と対戦し、勝てば二連勝だから優勝。三番手が負ければ勝った一番手が二番手と対戦。こうして誰かが二連勝するまで順繰りに延々と巴模様が回り続けるのです。「巴」とは三つ巴のことなのですよね。
 お気づきのとおり、キモは「二連勝」というところです。「二勝」ではない。三つ巴の一周で二勝できるのは一人だけ、そこに連勝の条件を追加することで一周の起点を設置できるというわけです。言葉がつたないですが、判るかな?

 六名いる場合は、三戦で三名に絞ったうえで巴戦になります。
 他の頭数も、これの応用。

 どうです。合理的で公正でしょ?

 本場所が十五日というのも合理的です。関取は十五戦を務めます。つまり対戦数が奇数なので、必ず勝ち越すか負け越すかします(幕下以下は一場所で七戦)。次の番付(ランキング)を決めるために、無駄がありません。
 考えれば番付の編成も合理的ですよね。本場所の勝ち星の数のみで上がり下がりが決められる。要するに勝ち越せば上がる、負け越せば落ちる。シンプルゆえ、力士当人たちだけでなく、部外者にも理解されやすい。
 ちなみに。幕下以下は七番務めると言いましたが、休場力士が出たりの関係で辻褄合わせに八番取る人も毎場所あります。この人たちの星取りをどう扱うかと言いますと「八番目の相撲は白星のみカウントする」という素晴らしい制度。他の連中より一つ多く仕事をするのだから、勝てばご褒美、負けてもペナルティがない。欧米の競技で九人トーナメントとかやるより、ずっと公平だと思いますけど、どうでしょう?