八せん始め (旧暦 神無月四日)

 障害者団体が、木造での復元を目指している名古屋城に関して「エレベーターを付けろ」とイチャモンをつけたそうで。
 団体関係者は「復元」という言葉を辞書で調べて百回ほど音読してみたらいいと思いますよ。そうすれば、徳川の世の名古屋城にエレベーターがなかった事実にも、ひょっとしたら気づくかもしれません。
 だいたい、何か勘違いしてませんかね? 「障害者」と名乗れば要求が何でも通ると思ってませんかね?

 言っちゃあアレですが。
 人気レストランに対して「抱えて店内まで運べ」と言ったために店側から来店を断られて逆ギレした某五体な人と同類にしか思えません。

 そも、日本の障害者は恵まれているほうではあると思います。障害者手帳の提示で医療費免除、交通機関の運賃は半額、税金面でも優遇されている。
 で、それについて障害者のかたがたが卑屈になる必要は断じてないです。
 ですが同時に、それがあたりまえだとばかりに、感謝の気持ち・謙虚な心を忘れてはならないとも思います。

 木造で復元された名古屋城天守閣に上れないことは、大問題なんでしょうか? 復元を根本から台無しにするような要求をするほどに大問題なんでしょうか?
 それなら、復元そのものに反対すればいい。今と同じくテッコンキンクリートでの天守閣建て替えを提案すればいい。

 それとサー。
 犬山城や姫路城に対してもエレベーターを要求するんだよね? いずれ復活する熊本城に対してもエレベーターを要求するんだよね?
 でないと、単なるダブル・スタンダードだからなー。

 元フジTVアナの某みたいな暴言は言いたくありませんが。
 障害者の要求すべてに応えることが「平等」だとは思えないんですよね。そんなこと言ってたら、目の見えない人でも楽しめる映画や展覧会とか、耳の聞こえない人でも楽しめる音楽会とかでない限り、開催が許されないなんて事態に、いずれなりますよ。
 差別はダメですが区別はあって当然(パラリンピックなどが、まさにそう)だと思うし、その区別を「切り捨て」と言うのは批判でも何でもなく、ただの暴論あるいは我が儘でしかないです。

 ただねぇ、このテの話。
 実は、騒いでいるのは障害をお持ちのかたがた(当事者)ではなく、支援者つまり“健常者”だったりするんですよね。要するに外野が喚いている状態。
 だとすると今回の件についても、ひょっとしたら支援団体がいわゆる“炎上商法”を目論んだのかもしれない、という当て推量すら成立しうるわけですよ。

 とにかく、かつての天守閣を復元するなら、エレベーターなど邪魔でしかない。
 これだけは紛れもない事実です。