御用始め (旧暦 師走七日)

 貧乏人のやっかみ。
 と受け取る人がおられるかもしれません。
 別に、そう解釈してもいいです。本意は違いますけどね。でも、勝手に解釈してくれてかまいません。



 毎年、年始のUターン・ラッシュを報ずるニュースで成田とかに着いた人の声を聞くにつけ。
 こいつらだけでなく、例えばハワイで年を越す芸能人どもも、なんで不幸にならないのかな?
 と本気で思うのです。

 なぜなら。
 年越しの行事は自宅で行うもの。
 年末に準備をして新年を迎えること、それすべて、神様を自宅にお招きする行為なのです。
 門松や注連飾りは道行く神様を家にお誘いする、言わば呼び込み看板(笑)。
 御鏡餅や御神酒、御節料理も、人ではなく神様にふるまうもの(人はあくまでも、そのおさがりを頂く)。
 要するに、年末年始の行事は、神様への「お・も・て・な・し」なのです。そうすることで、一年の無事や幸福を願うわけです。
 独立した者が実家に帰省するのも同じ。お盆に親戚一同が集まって御先祖様をお迎えするのと同様、新年に神様を親族揃っておもてなしするのですよ。

 ここまで言えば、お判りでしょう。
 年末から海外に旅立ち、ハワイとかで優雅に過ごす輩の自宅は当然のこと、もぬけの殻です。
 元日に通りかかった神様は、そのまま素通りしますって。
 たとえ門や玄関にお飾りがあっても、家の中は真っ暗で寒く食べ物も酒もない。せっかく入ってきてくださった神様も、がっかりでしょう。
 そんな家に、はたして神様からの御利益があるんでしょうか?

 だから言うんですよ。
 正月をハワイで過ごす芸能人どもとかが不幸にならないのは変だ。
 とね。



 神も佛もない?
 そんな意見、聞いてませんから。