(旧暦 霜月二日)

 炎上したのは行き過ぎな事態と思うものの。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1611/28/news102.html

 やっぱり、主催者側が無神経だったな、と。
「踏みつける」「足蹴にする」という行為が何を意味するか、という想像力あるいはセンスが欠けていた。だから大衆を怒らせた。ここを先読みできなかったことが敗因でしょう。
 そもそも、生きたまま氷付けにしたワケじゃなく死んだ魚を使っているので、「残虐」という批判は当たらないんですよね。残虐・残酷レベルの話なら、尾頭付きの舟盛りのほうが桁違いだよ。あれ、パクパクしてるし(汗)。
 これが上側か側面にあってお客が魚を見上げる形なら、たぶんここまで叩かれなかったんだろーなー。あるいは、巨大水槽の中で魚を元気に泳がせる上に強化ガラスで蓋、その上に氷のリンクなら受けたかもね(費用がかかりすぎてNGだろうけど)。
 それにしても、叩かれるまで運営が気づかなかったのは、日本人の感性が壊れつつあることの一端なのかな。まあ、怒りの声が大きかったので全体としては、まだ大丈夫とは思いますが。

「見上げる」の話ついでに。
 例の展示会場内にたくさんの小鳥を放した「芸術」とやらは、かなり胡散臭いと思います。
 生きてる小鳥を見たければ、野にバード・ウォッチングに行くか、動物園やペット店に行けばいい。生き物のド素人が生きた小鳥を扱うことに何の意味もないばかりか、弊害だらけです。
 あれは芸術家気取りの思い上がりが愚行をやってると断言。肩書きが芸術家だとしても、センス悪すぎ。クソだ。





 庵野さんだからできたことですね。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1611/28/news065.html

 Pの阿呆な要求を拒否、お見事でした。あんなのハリウッドに任せとけばいいんですよね。こういうことが、元は個性的だった作品を一律金太郎飴な骨抜き(「無難」とも言う)にしてしまう。ったく、センスのない奴、冒険心のない奴が偉い地位にいると、ホント困るわー。
 一方、民間側の描写がなかったのは単純に台所事情からだけだった、というのが意外でした。てっきり意図的に排除したものとばかり。つまり、そう思わせないところが巧みなんでしょうね。観客に「あ、ここケチったな」と思われたら制作の負けということか。なるほどなるほど。
 そんな庵野監督にして、今の邦画業界がダメダメと感じているというのが、また印象的でした。個人的感触でも、今の邦画に巨匠どころか準巨匠もいないし、巨匠の卵もいない。しかも、卵が育つ環境ですらない。まー、カウンターから注文伝票もらってチャチャっとパフェ作る的な感じで漫画やラノベの実写化ばかりやってたら、卵も育ちませんわな。しかも売り上げの大半を「制作委員会」が持ってってしまうとなれば、現場がまったく潤わない。有能な若手ほど別の畑に移る理屈です。
 往年の巨匠たちが自分の作品作りにしか興味なく、現場の環境整備に力を注ぐとか積極的に弟子や後継者を育てるとかしなかったことも大きいでしょうね。ルーカス監督やスピルバーグ監督が早々に最前線から退いたのと対照的な気がします。





 これ、中国語に関するトラブルだから即行で対応したんだろーなーと。

http://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1032261.html

 もしも日本語に関する不具合だったら「修正は次のマイナー・アップデート時に(ついでに)」で済まされそうです。現実に、Vivaldi 1.5 の日本語関連のトラブルは放置されてますし。
 腕時計やPCサプライ品の取説とかでも、中国語は必ず載っている反面、日本語のないものが増えました。
 それが今の日本の立場。バブル崩壊から何も学ばなかった政財界のバカ爺ィどものせいで、こうなったんだぞ!





 ようやく決めたか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161129-00000080-jij-kr

 逮捕されるのがほぼ確定だから、任期ギリギリまでしがみつくと思っていたので意外でした。
 お父上がらみの人脈から見捨てられたのかな?
 にしても、私たちは、あちらの国民の熱意だけは見習う必要があると思いますね。どうも日本人は淡白すぎる。





 こういう記事を見るたびに。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00000049-jij-pol

 各界は皇族に対して敬語を使っているものの、その実、敬意なんて持っていないとしか思えないんですよね。
 あえて不躾な表現を使うと「絶滅危惧種の保護」つまり「飼育」している感覚なのではないかと。
 だって、「認める」ってのは、要するに「許可」「認可」です。上が下に対してするものです。つまり、陛下を下に見ていることになるんですよ。敬意のカケラも、あるはずがない。
 でなければ、陛下のご意向に、ああも堂々と反対意見を出せるはずがない。反対している連中って、はっきり言って「おまえら何様?」ですよ。
 世俗な例えで申し訳ないが、平社員が社長のやろうとすることに対して「認め」ますか?
 王族がおられる国々の人たちが日本の保守層のドタバタを知ったら、さぞ不思議に思うでしょうね。





 強い関心を持っています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161128-00000114-jij-soci

 直接に情報を得る手段を持たない者として、どちら寄りの発言もする資格がありませんが。
 ただ一点、同じ証拠、つまり贈賄側の記憶による証言だけを根拠に、地裁と高裁で真逆の判決が出るという司法のデタラメさに恐怖していますよ。判事個人の主観だけで被告の人生を左右するなんて尋常じゃない。
 日本の司法制度は、まだまだ野蛮だなと思わざるを得ません。マジで怖い。
(いや、U.S.A. の判事も、かなり主観というか好き嫌いで動くという話も聞きますがね。まして陪審員なんて主観でしか物事を考えないし。それでも、あちらは人権にうるさい国だし弁護士の力も強いから、日本よりはずっとマシでしょ。ついでに言うと、あちらの刑事裁判では検察には控訴権がない)
 あえて無責任な印象を申しますと。所謂「出る杭は打たれる」事件のような気はします。つまり贈賄、検察、裁判所と、それらを束ねた黒幕が、生意気な若造を罠に掛けた図式ね(この場合、地裁の無罪判決は「民意に対するガス抜き効果」といういつものパターンとなる)。





 相手側チームが、こういった意向を示した気持ちは理解できます。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161130-00010001-footballc-socc

 でも、どうなんだろう。単に勝ちを譲ってもらって、それで犠牲者のかたがたは、うかばれるんだろうか?
 奇跡的に選手の中に生存者もおられるそうなので、そのかたたちの回復まで年を跨いででも決勝戦を延期して、それで少人数でも勝負できる形式、つまりPK戦のみの試合という方法もあるんじゃないでしょうか。
 これなら勝っても負けても全力を尽くした結果となるので双方にとり意味のある決勝になると思うのです。
 無知な素人外野の意見にすぎませんけどね。