(旧暦 如月十六日)

 『番長惑星』
 『番長惑星』全2巻
  石ノ森章太郎/秋田文庫


リュウ三部作」の三作目であり第二部現代編。
 1975年の年始から 1976年の年始まで、ほぼ一年間の連載。

 当然のこと、主人公が「りゅう」という少年である以外の共通項目はありません。
 三部作とは言うものの、それぞれが完全に独立した作品です。

 三部作中、最も定番の石森作品らしい漫画と言えるでしょうか。
 社会を支配する闇の組織に気づいた少年が仲間を集めて反抗に立ち上がる。闘うレギュラー陣の大半が少年少女というあたり、ジュブナイル的なSF作品でもあります。
 集まる面々がそれぞれに特技を持っている点や、対組織戦にもかかわらずメインが殴り合いになるあたりは『009』からの伝統ですね。それも含めて「王道」と言っていいかと思います。

 ただし、これは前半(文庫本第1巻全部と第2巻の頭部分)についてのみ。
 後半(文庫本第2巻のほとんど)がガラリと変貌してしまうのも、この作品の特色です。

 いや、良い意味での「ガラリ」じゃないんですよ。悪い意味での「ガラリ」なんです。少なくとも妖之佑の印象では。
 転校してきた少女が実は裏のある人物で、それまで主人公を中心に動いていた言わばレジスタンス活動が無意味になるほどの規模を持つ組織の一員だったという。ために、闇の組織と少女の属する組織との全面戦争という構図に切り替わってしまうのですよ。この時点で、少女が重要視する主人公はともかく、その仲間たちは完全に傍観者の立ち位置にまで下げられてしまいます。そして、そのまま、あたかも消化試合的にエンディングまで持っていってしまう。
『009』で例えるなら、009以外の001から008とギルモア博士が、いきなり台詞すらない脇役になってしまうような状況です。さすがに石森さんが最初から、こんな展開や締めくくりを構想していたとは考えにくく……。
 本当に、どういう意図での路線変更なのか不思議でなりません。

 大胆に想像するなら、編集からの横槍ではないかと思います。何せ連載が『少年チャンピオン』ですから(苦笑)。
 この『番長惑星』、前半部分には明確なヒロインがいなかったのですよね。『リュウの道』や『原始少年リュウ』には、ちゃんといたのに。そのあたり、ヒロインの設置を編集に強く求められたのかもしれません。
 新たな、そして確固たるヒロインとして登場した少女は下手すれば主人公より台詞が多く、作品の世界観を牛耳ってしまいます。
 そう。ちょうど『仮面ライダー響鬼』の桐矢京介みたく、作品そのものを書き替えてしまうほどの存在感。彼女の登場が最初から約束されているのなら、前半の仲間を集めるくだりは不要だったとすら思います。
 ヒロインがいないのは石森さんの意図であり、そこにもしも無思慮な編集がイチャモンつけたとしたら、作者のモチベーションに影響しないはずがなく。結果として後半が、石森さんが周到に用意していたネタを、もう無造作に、ただただ披露するだけの、広げた風呂敷を黙々と畳む作業となってしまうのも無理からぬこと。

 石森作品で、ここまでブレたものを私は知りません(『009』は長寿シリーズであり、その時期その時期でカラーが違うのは「ブレ」とはまったくの別物)。もし妖之佑の推測が当たっているのなら、編集の罪は大きいですね。
 最初の構図のまま、主人公と仲間たちが少しずつ黒幕に迫り、頑張って頑張って勝利を勝ち取る物語を読みたかった気がします(内容によっては敗北する結末も充分にアリ)。
 その意味では、燃焼しきれなかった不運な作品だったのかもしれないなと思うのでありました。