上弦、納めの金比羅 (旧暦 霜月八日、御火焚、鞴祭)

 愛国心は法律で強制するものだろうか?
 放っておいても自然と国民に愛される、そんな国を作るのが、そもそも政治家や役人の仕事ではないのか?
 国歌・国旗への崇拝を強制する連中、それを支持する連中は、その出発点がまちがっている。

 安倍政権はNSSに「愛国心」を明記する方針だそうだが。
 これは自民の改憲案において「国民」を「国」にすげ替えてあるのと同じ発想であろう。安倍の「取り戻そう」とする日本のありかたは「国家のための国民」であり、決して「国民のたの国家」ではない。国民に滅私奉公、七生報国を求める、まさに戦前の思想である。

 ヒットラーチャウシェスクフセイン、そしてカダフィ……。
 好き勝手に人権を踏みにじった政権の末路は歴史が証明している。



 まー、安倍と、その提灯持ちどもに言ってやると。
「国」と「政権」とはイコールじゃないからね。つまり愛国心は国を愛することであり、断じて政権を愛することにはならない、ってこと。
 だから仮に愛国心を法律で強制されたとしても、それを根拠に政権を支持させられる筋合いなど、まったくないのだよ。